江戸時代、庶民の住まいといえばご存知「長屋」です。
では、トイレやお風呂はどうしていたのでしょうか?もちろんエアコンや照明も無い時代、どのように工夫して生活していたのでしょうか?
当事、人口世界一の100万都市ともいわれる江戸ですが、それだけの人たちが生活できたのも長屋という独特の住居があったからだと思います。親同然といわれる大家を中心に一つの家族のような長屋暮らし。
人口の70パーセントが住んでいたといわれる長屋、その裏事情を少々ご紹介してみようと思います。
ひとくちに長屋といってもいろいろなランクがありました。そのなかでも表通りに面しているのが「表長屋」、路地の奥にあるのが「裏長屋」と言われていました。表長屋に住めるのは給料の高い職人の頭などだけで、庶民の多くは裏長屋に住んでいました。
一般的な長屋は、6畳ぐらいの広さに部屋と土間と台所があり、そこに1〜3人ぐらいの家族で住みます。もちろん風呂は無くトイレは共同です。
隣とは簡単な壁で仕切ってあるだけなので会話や音も筒抜けですが、長屋の人たちは家族同然で意外に和気あいあいと暮らしていたようです。
江戸時代、もちろんクーラーや扇風機はありませんので、扇子や団扇であおいだり、打ち水、夕涼みや行水をしたりして涼をとりました。
暑くなれば冷たい食べ物が食べたくなるのは当時も同じで、「冷水売り」という商売もありました。冷水といってもただの水ではなく、水に砂糖と白玉を入れたもので、値段は今で言うと100円ぐらいだったようです。
江戸の人たちは、いろいろ知恵を絞って夏の暑さをなんとかしのいでいたんですね。
長屋には一家族にひとつのトイレがあったわけはなく今でいう共同トイレで、掘った穴の周りに板を渡しただけの簡単なものでした。
ここで驚くべきは、江戸時代には糞尿をリサイクルする仕組みがあったということです。
皆さんのご想像の通り肥料として利用するのですが、肥料としての需要が多かったため、農家は裏長屋の大家から糞尿を購入していたそうです。金額としては平均的な規模の長屋で、今の金額に換算すると年間10〜20万円ぐらいになったといわれています。
ちなみに、大名屋敷や武家屋敷から出る糞尿のほうが、長屋などから出るものより値段が高かったそうです。身分というよりも食べている物の違いだとは思いますが。
江戸時代の銭湯は湯屋と呼ばれていましたが、当時の湯屋は混浴があたりまえでした。
現代人からすれば、本当に混浴で大丈夫なの?と思ってしまいます。しかし当時の湯屋では、下心丸出しで女性に触ったりする迷惑者はほとんどいなかったようです。
寛政の改革や天保の改革で一時的に混浴禁止となったこともありますが、江戸時代はずっと混浴の文化が続いていたそうです。